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南相馬市小高地区復興支援ボランティア体験記 Vol2 

前回の続きです☆




9時頃に南相馬市生活復興ボランティアセンターに集まり、しばし待ったあとにオリエンテーション。

個人参加者も列を作っているが数十人いるだろうか?

個人参加者は殆どの方が自力で車を運転し、明け方に仮眠取り、また運転して帰る人たち。
バス出してもらっているこちらが眠いなんて言ってられないです・・。


我々杉並区民組は、神奈川から来た集団と一緒に震災&津波後ほぼ手付かず状態になっている邸宅に派遣されることに。

ちなみにこの神奈川から来た集団、30~40人はいたグループですが、統率も取れていて仕事も真面目でプロフェッショナルでしたね。^^;


再びバスに乗り込み派遣先に向かうのですが、ここで今回の災害の大きな問題に新たに気がつく。


それはとにかく被災地が広いこと。

同じ南相馬市市内なのですぐかと思いきや、ボランティアセンターから活動場所の小高地区まで20~30分。

南相馬市だけでこれだけ被災地が広範で、深刻な被害が出た場所は、相馬市、宮城に入れば、南三陸、気仙沼、釜石、石巻・・・と沢山あるわけで、

それぞれの場所にそれぞれの被害があり、課題があるわけで、復興の難しさがより鮮明に分かります。

特にまだ立ち入りが出来ないエリア、ようやく立ち入れるようになったエリアが多々ある福島県の抱える課題はさらに深刻です。

そもそも何が「課題」か把握出来ないエリアも多いわけですから。



バスはほどなく、小高地区へ。


生活が復旧している原町と変わり、人気のない風景が続きます。所々に車があるのは津波で流された車がそのままになっている。


派遣先到着後、まず家主にご挨拶。そして作業の確認ですが、立派なご邸宅でした。


母屋に離れ、そして納屋のような建物とガレージのような建物、そして広いと思われる庭・・・


ような、とか、思われる、とか書きましたが、

納屋か離れと思われる建物は半壊しており、ガレージも半壊に近い状態。

特にガレージは鉄骨がすべてくの字に曲がっており、津波の威力が伺えます。


いちいち文章で説明するのも、個人宅であることからボランティアスタッフによる写真撮影は禁止されているからです。


なので少し伝わり難いですが、想像以上に酷い状況でした。

まず、庭はすべて20~30センチ近い泥で覆われ、泥が固り、さらにその上に人の背丈もあるような草までびっしりと生えており、

どこまでが庭か、家の敷地かがまだ分かりません。


家は一階が完全に水に浸かったようで天井まで泥まみれでした。


作業はまず芝刈り機を使える人が草を狩り、機械が使い難い箇所はカマで狩り、狩り終わった箇所から順次スコップで泥を叩き割、かき出し、ネコ(一輪の荷車)に積んで家の入口付近まで運んで・・を繰り返す人海戦術です。


自分はまず黙々と草刈から。

簡単に抜けるものもあれば、根がしっかり泥に食い込んだものもあり、意外と骨が折れます。


同時に家の中の作業も始まります。


一階にあるもので本当に必要なものは全部出したので、後はすべて処分する、とのことでしたが、


家電、衣類、家具、畳、などに加え、仏壇・仏具、おもちゃ、贈答品、旅行土産の置物、表彰状、子供のおもちゃ・・などなどの品物を運び出す訳ですが、

これが非常に心が痛い・・。


何というかその家の歴史が垣間見えるんですよね・・。


置物なんて一度に10個も20個も買ってくるわけもなく、恐らくひとつひとつに思い出あって・・。


そういうすべてが地震と津波で一瞬にして壊され泥まみれになり、そしてその後1年以上家に帰ることも出来ず、と考えると、電車が泊まっただけ大騒ぎしていた自分たちがなんと恵まれていたか。

原発にして小高地区は半径20キロ圏内。未だに自分の家でも宿泊は出来ず、電気ガス水道何も使えません。


そしてこの作業を通して、「震災ガレキ」という言葉を考えるようになりました。


自分としてはガレキとは呼びたくない。


我々が無意識に「ガレキ」と括ってしまっているモノの多くは、

被災された方々の家財や思い出品々です。


少し考えれば分かることなのですが、こういう想像力なかなか働かないんですよね。やはり現場を見ないと。


一言言いたいのは、よく「震災ガレキ持ち込み反対!」とか福島から遥かに離れた被災地のガレキ持ち込みにヒステリー起こす人がいます(そもそも福島の震災ガレキは県外に持ち出しません)。

反対するのは自由なんですが、

「被災者の家財や思い出の品々の持ち込み反対!」

と、言い変えたら?

自分の発する発言の重みが随分と変わると思います。

放射線対して必要以上の想像力働かせるよりも先に、まずは被災者に対しても少しでも想像力を働かせることも必要です。


ある意味一番伝えたかったことかもしれません。


震災ガレキ=被災者の家財と思い出の品々

です。



草刈と家財の運び出しで午前の作業が終わり、昼飯はコンビニで買っておいたオニギリ三つ☆


午後に入って気温もかなり上がってきました。自分は家の中のことを他に任せて、体力勝負の泥のかき出しに回ります。

そしてこれが予想通りキツイ。^^;


しっかり腰入れないとスコップが刺さらない箇所も多々ありますし、しっかり固められているだけに重い。

猛烈に汗かきながらもみんな黙々と働きます。


ちなみに自分たちは写真撮影禁止なんですが、ご近所の人たちが段々集まってきて写真撮りまくってます。笑


たしかに記録に残したいくらい、泥を撤去した箇所とそうでない箇所が違います。

庭の形も徐々に分かってくると俄然とやる気が出てペースをぐんぐん上げる。


そして午後二時頃には庭の大半の泥が撤去され、門から家が余り見えなかった荒れ果てた草地だった場所に立派な日本庭園が戻ってきました☆

神奈川のグループが2時で退散だったため、3時まで我々、杉並区民組は残った箇所の泥撤去に全力尽くし、ほぼ庭の泥がなくなった状態で終了。

家の一回も空っぽ状態になり、スッキリしました。

この状態になってようやく被災された家主の方々がスタート地点です。

作業を終えた充実感はありましたが、無力感も正直ありました。50~60人が必死になって働き、結果、「何もない状態」になっただけですから・・。

ただ、朝対面した時はまだ固い表情だった家主のご家族が帰りには笑顔で見送ってくれたのは嬉しかったですし、また住むにしても、引っ越すにしても今回、震災直後状態から片付けたことにより、どちらぬ進むにしてもきっかけになって頂ければこれ以上嬉しいことはありません。

充実感と無力感、同時味わう複雑な体験でした。


重い話が続きましたが、作業後、機材等を洗ってボランティアセンターに返した後は、スーパー銭湯風の入浴施設へ☆


疲れた体にこれが本当に気持ちよく、入浴後の生ビールは世界一!!って言えるくらい旨かった☆

ビールで一息ついた後はまた6時間程掛けて帰京。


帰りのバスで既に来月も参加する決心はしていましたが、週末休んでも変わらなかったので月曜日に正式に応募してました。

来月は19日から20日の日程でもう一度行ってまいります。


そしてまた情報発信したいと思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。


復興支援はボランティア活動をする、募金をする、現地の品物を買うなど色々ありますが、



関心を持つこと、



これが一番重要だと思っています。関心持つ人が多いほど、その中から行動に移す人も増えますし、人づてに情報は広がります。


どうかまだ震災復興のスタート地点にすら立っていない地域があることを心の隅に留めておいてください。

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[2012/09/27 00:14] 未分類 | TB(0) | CM(0)



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